2012年4月19日木曜日

近況報告

引っ越したら寂しくて近況報告とかでもこまめにするかなあと思っていたけれど、しないね。

だんだんと新しい生活がはじまりはじめてわくわくしていると同時にあの楽しい時代がだんだんと過去になっていくのが肌で感じることができて泣きそうにもなったりするような四月です。

ずっと好きなブログを二つ。

unchangingwindow



たしかミランダジュライのホームページにリンクがあったことから知ったブログというかホームページ。
おそらくニューヨーク在住のアーティストの人。

壁の本に通じるような写真とノスタルジックな写真と、ニューヨークのおしゃれ生活がかいま見える。
この人の推すyoutubeにはハズレはない、と思っている。



boujourgirl



私よりずっと若いアメリカの女の子のブログ(一応ファッションブログ)だけど毎回どっから拾ってきたんだろうというようなカラフルな画像があって、ミランダジュライが好きでピピロッティが大好きな女の子に間違いはない。
しかしなんで横尾忠則とか知ってるのかな。恐るべき子供たち。。

2012年4月10日火曜日

Dance!





2012年4月7日土曜日

まるめがね

自分が丸眼鏡を買ったものだから、デビットホックニーに興味を持った。
何年か前のポールスミスのコレクションがホックニーだったこと、とあとはなんだか明るいアメリカの郊外をかいている人、というイメージしかなかったのだけど、とりあえず手始めに(お風呂上がりに)父の持っていた画集を見た。

そしてひゃんすんさんが和歌山県立美術館でホックニー展をやっていることを教えてくれたので、突発的にいってきた。

近代の作家の個展を見に行くのは、あの震災直後のクレー展以来だったのでほとんど1年ぶりであった。

その何日かあとに草間彌生展を見に行って、作品数は圧倒的に草間展の方が上だったと思うけれど、得るものは断然ホックニーの方が多かった。
(もちろん私の主観で)
つまり草間さんの作品はあれだけの量をあれだけの時間、絵と一対一で向き合ってつくりあげてきたという精神力とか、エネルギーとかそういうものには感銘をうけたし、それは確かに“凡人”にはこなせない仕事だと思ったけれども、対してホックニーの作品は計略的というか、どうすれば成功するか考えてやったのだと感じられる反面その策略の巧妙さというか、どうしてその作品を私はいいと思うかについて深く考えられる作品たちだったと思う。

まあ今の私の興味が主に印刷にあって、ホックニーのリトグラフの技術とかに感銘を受けたというのもある。
とくに有名なプールの作品は版画=複製芸術 という概念にまったくはまらないようなもので、だからいい わるい ではないけれど、複製できるという前提で発明されたものを違う風に用いりながらもしかもそれに成功している、というのはすごいことだとおもった。

あと単純に色がきれいだった。

でもそれって大事なことだと思う。

建築で、ミニマムな、無色透明ばかりがいいとされる日本では生み出せないような色使いだったし、きっと、同じ作品を日本で見るのとニューヨークのギャラリーとかロサンジェルスとかそういうところで見るのとはまったくちがうだろうな というような そういうかんじ。

2012年4月5日木曜日

good bye youth

京都を出た。
夏の終わりからずっとこのときのことをシュミレーションしていたからか、今回もなんだか現実味がない。
そしてこのままずっと実感のないままなんだろうとうすうす気付き始めている。 この季節が区切りになるのは確かだけれど、今日までがこのタームというのは明確にはならないんだろう。
今日からは新学期、というのは毎年きていたけどそれももう少しで終わる。
私は引き続きあるけれど、同級生には、そうでない人の方が多いはず。



京都ですごす最後の日は仲の良い四人でいろんなところへいった、つもりがずっと食べていた。
月と六ペンスで集合して、パンを食べる。全員そろうまで黙々と読書。欲しいなあとなんとなく思いながらも月と六ペンスで読んでいる「芝生の復讐」の続きを。


フレスコで買い物をして加茂川でパンケーキを焼く。


ビックボーイでステーキを食べる。四人でドライブしたのははじめてのことだった。いつも自転車だったから。

最後はyugueさんで1杯。といいつつ梅ジュースを頼む。下鴨ジンジャーは下鴨神社とかかっていることにはじめて気付く。いつまでもさん付けで呼びたいと思う。ユーゲさん。
また帰ってきても何も変わっていないといいなと思う。住んでいるとずっと同じはつまらないと思ってしまうけれど。




けいぶん社で買った甲斐みのりさんのzine的なサムシング、
L
が妙にシンクロして、京都をでたすべての人といろんなことを共有している気がする。


おやすみきょうと、またあした。