2010年6月27日日曜日

〈〉

人を客観視することが苦手なことに気づいた。

みてないわけじゃない、と思う。

でもどうしても自分と比較して考えてしまう。 他人を観察したときに、私抜きの視点で考えたこと、ないような気がする。

高校の授業でやった鷲田清一さんの文章「〈顔〉を差し出すということ」に、ー他人と目がかち合わないような状態でしか、他人の顔をまなざすということはできないーと書いてあったけれど、そういう状況において、一人相撲のように こちらを見つめていない目に対して、反応しているということになる。だって、そのひとがこっちをみたら必ず目をそらすから。

ー〈見える自分〉をわたしたちはごくわずかしかじかに見ることができない。そこでわたしたちは自分の身体についての少量の知覚情報や鏡、他人の視線を手がかりにし、それらを素材として、自分の可視的身体をひとつのイメージとして想像的に縫い上げる。

鏡で自分をまじまじと見るのは、部屋の中でささっと化粧をするときと服をえらぶときぐらいなものだから、私の「見える自分」の大部分は、他人からの視線(と、私が勝手に想定しているもの)だけで成り立ってるんじゃないか。

人を客観視できないということは、自分を主観でみれてないということとニアリーイコールで、自分がどんな人間になりたいのか、どんな服を本当は着たいのか、何が似合うのかすらぜんぜん見えてこないのもこのへんに原因があるのかもしれない。

この間 友達と、人に評価されることのコワさについて話したけれど、そのときに自分はこてんぱんに批判されたこともないのになんでマイナスで考えちゃうんだろーねーといいあっていたけど、 そうやって仮想的な他人の目で縫い上げた「自分」が、どんなにもろいものなのか、本当の他者の目で見つめられたことがないと分かっているから、こわいのかもしんない。

他人といえば、烏丸御池辺りに私のドッペルゲンガーがいると 中1ぐらいからずっと言われてるんだけど、最新情報ではそのひとはぽっちゃりした人と一緒に子連れで歩いていたそうです。 まあ全部同一人物じゃないだろうけど、どんなひとなんだろー。

2010年6月18日金曜日

box

2010年6月17日木曜日

memo

三回生 二こめの課題がおわりました。

次はこのアトリエでやる最後の課題。


自己否定と他者否定と、 やっぱり自分は 『これは嫌い』『あれはしない』っていう否定でしか成り立ってないなあと思う最近。

興味のなかったものにも手を出して、広く広く見る視野が必要だと思う。 ぜんぜんまとまってないけど。そういう最近。

経済の本も読もう。だって今の消費する資本主義社会と無関係ではいられないと思うんだもん。