2011年9月17日土曜日

ここ最近

・大学院試おわる。

8月はこればっかりだった。ここまで勉強したのははじめてというくらい勉強しまくった(自分としては、だけど) 物事に集中する、というのがなにせ苦手だったのだけどそんな私がこんなに勉強したのだからやっぱり建築が好きなのだと改めて感じるきっかけになった。
引っ越してはじめて下鴨納涼古本祭りへ行かなかった。それだけがんばったってことだと思いたい。
自分の行っている大学の面接はものすごくぐだぐだだった。いつも顔を合わせている教授にどう接していいのかわからず、私のうさんくささもばれてるのに、どう面接にいっていいのやらわからなかったから。。。
外部受験の方は今年からポートフォリオ点がつくと聞いたのでがんばった。

といっても人にてつだってもらったけど。ありがとうございました。
細かいところを見ると突っ込みどころ満載で私のダメなところも見えるのですが、多分ぱっと見ではわからなかったとおもう。


・インターンへ行く。

合格したはいいものの、京都を離れるというのがつらすぎて、もんもんとしたまま東京へインターンへ行った。 去年もお世話になった編集事務所に。
去年、my bloody valentine,maximum joyの話をしたのでニューウェイヴ少女とというのはばれていたのでたいへんよかった。
「自分の生まれてない頃の音楽聞いてるんだ」といわれた。

  …確かに。そんなこと今まで考えもしなかった。いや、考えたけど、なんか改まって言われるときもちわるいな私。。

new age steppersのアルバムをお借りした。良い!良いですね! 
bow wow wowとジューシイフルーツな私。あ、あとwaitresses。tom tom clubの話したかったなあーなんてな。
11:00出勤、ほとんど19:00終わりという去年と比べると余裕のある仕事だったのにあまりなにもしなかったのがすこし心残りではあるけど、ABCセンターで野中モモさん訳の「ガール・ジン」を買えたからよかったかな。 あ、あとオペラシティの展示もみれたし。 ただタイミングが悪くて人にあんまりあえなかったけれど。 まあそういう東京滞在もいいか。どっちにしろ非日常な10日間だった。


・進路を決める。

もうほとんど決めかけではあったけど、片っ端から大人たちに相談した。いろんな人たちの院生時代の話や、価値観、社会に対してのスタンスも聞く事ができたし、自分の中でも整理をつけることができたし、とてもいい機会だった。
今まであまり重大な局面で悩む事もなく、行ける方に というか 選択はしたけど、自分の中であたりまえな選択ばかりだったので今回は初めての経験だった。


というかほんとに、ほんとに、人に恵まれてるなあわたし


・イタリアへ行く。

このハードスケジュールな九月の最後の予定はイタリア。 けっこうな建築旅行になる予定だからたのしみ。 ブログ更新してないで準備しないとだめなんだけど、すっきりしてるうちに書いておきたかったから。 今日oz 行きたかったのになー。それが残ネンー。

2011年9月2日金曜日

皮肉


皮肉とは、よくわからんもんであるが、最近読みはじめた(去年かもっと前か、コミックショックだか古本市だか古本屋だかで買ったのを寝かせていた)カレル・チャペックの『園芸家12ヶ月』、愚痴ばっかりである。

この人の本といえば、『ロボット』でこれもアイロニーに溢れた、寂しいお話であるが、私としては小さい頃読んだ『ダーシェンカ』だとか、『チャペック犬と猫の話』であり、読んではいないが、『長い長いお医者さんの話』もかなり楽しみな本である。また、2年ほど前によんだ『イギリスだより』も大変におもちろかった。

おもしろさ=愚痴といってもいいほどであり、愛ゆえの愚痴が大変につまった本たちである。 まあイギリスだよりはほとんどがほんとの愚痴で、褒めているところはけっこう素直に褒めてたが。


これはアイロニー小説の傑作『ボートの三人男』(ジェローム.K.ジェローム)の小説然り、日本でいえば永井荷風とか、(あんましおっさん、という感じではないが)太宰治なんかも森見登美彦選の『奇想と微笑』なんかを読むと愛と愚痴に溢れている。

私はこれらの 愛と皮肉に溢れたおっさんたちの愚痴をつらつら書いた小説が大変に好きであり、私の祖父なんかはけっこうそういうおじいさんだと思って、祖父母の中では一番好きであった。


ところが最近祖母が入院したのをきっかけにがっつり暗くなってしまい、この間家に行ったときなんて、昼間に電気も扇風機もテレビもつけずにソファに沈み込んでいる様子はなんだかほんとに暗い人であった。

普段から愚痴っぽい人が面倒くさい性格というのは承知の上で、そういうひとのユーモアは面白いなあと思うし、自分もいうまでもなく暗い人間なので、そういう人間の方が生きる上でいいと思っていたが、本当につらいときというか、ぼけてはいてもやはり妻が入院したり、退院しても老人ホームに泊まりに行ったりするようになると、なんだか生きずらいんだなあとおもってしまったのである。 なんだかなあ。。。


まとまってないな。