2013年2月8日金曜日

ことば

最近、自分の言葉で物事を書くことの意味についてふわふわ考えています。
 自分のことも、史実でも、文章にしてみるというのはたいへんにむつかしい作業で、
簡単なメールを書くことすら、すごく時間のかかる作業です。
人と話している時に、そんなに根掘り葉掘り聞かなくても、
うやむやに しとくことも大事じゃないか!と思うこともあります。

今読んでいた本に、重要なことが書いてあった気がするので、ここにメモしておきます。

言葉にする、という行為は不思議なもので、記憶や思考や体験などを、完ぺきに言葉に置き換えることは絶対にできない、というかわりに、それらをなんとか表現してみようと格闘しているうちに、気がつくと物事の見え方が変わっているということがあるんじゃないかと思います。
『だれでも一度は、処女だった。』千木良悠子 辛酸なめ子(よりみちパン!セ/イースト・プレス)

なるほどなあ。
人に説明すると、あるていど客観視することができて楽になる反面、
まだ自分で手放したくない話の場合、ストレスになったりもします。
そして、だんだん大人になると手放す段階を(締め切りやら、急かされたりやら、
自分に興味のない人と話さなくちゃならない時が増えて)自分で決めれなくなるのかもしれません。

でもその限られた時間の中で、もやもやしたものを残しておいて、
少しずつ言葉にする技術をみにつけたいと思います。



ということですね。



私がクマにキレた理由

就活するかしないか(しない方向で)もやもやしている私にはタイムリーなお話。
これって運命かも!なんかタイミングあったし。という流木系思考は
基本的に悪い方向にはすすまないと思っているけど、
それがラクなわけではないというのは当たり前の話。
でも遠回りしたいんだよなあ。私も。遠回りになるかどうか分からず進みたいと思う。
若気の至りではありませんように。
でも最短距離でいける道よりもあみだくじで碁盤の目進むほうが好きなんだもんな。

世の中お金が全てじゃない的な短絡的回答と、ハーバードイケメンの幼稚さ(六歳のグレイヤーと同レベルのわがまま)はあったけど、
おんなじような家庭を描いてた「おとなのけんか」 と比べるのも面白い。