自分のことも、史実でも、文章にしてみるというのはたいへんにむつかしい作業で、
簡単なメールを書くことすら、すごく時間のかかる作業です。
人と話している時に、そんなに根掘り葉掘り聞かなくても、
うやむやに しとくことも大事じゃないか!と思うこともあります。
今読んでいた本に、重要なことが書いてあった気がするので、ここにメモしておきます。
言葉にする、という行為は不思議なもので、記憶や思考や体験などを、完ぺきに言葉に置き換えることは絶対にできない、というかわりに、それらをなんとか表現してみようと格闘しているうちに、気がつくと物事の見え方が変わっているということがあるんじゃないかと思います。『だれでも一度は、処女だった。』千木良悠子 辛酸なめ子(よりみちパン!セ/イースト・プレス)
なるほどなあ。
人に説明すると、あるていど客観視することができて楽になる反面、
まだ自分で手放したくない話の場合、ストレスになったりもします。
そして、だんだん大人になると手放す段階を(締め切りやら、急かされたりやら、
自分に興味のない人と話さなくちゃならない時が増えて)自分で決めれなくなるのかもしれません。
でもその限られた時間の中で、もやもやしたものを残しておいて、
少しずつ言葉にする技術をみにつけたいと思います。
なんでもすぐ言ったりつぶやいたりする人いるけどたまごボーロ食べるの下手な人みたい
— 鵜川カナさん (@ugawakana) 2013年2月7日
ということですね。
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