2010年9月27日月曜日

予定調和



運命なのか予定調和なのかなんだかしらないけれど、偶然が重なるとしか思えないことはたくさんあって、

木村友紀展で買ってきた彼女の大和プレスでの展示の図録を読んでいたらなんと青木淳のレビューが。清水穣の文章が載っていたこととか、それのはじまりがロランバルトだったので買ったんだけど、青木淳、、、気づかんかった。

しかもすごいのが、その内容がえんえんと伏線についての話だったってこと。そして始まりはバックトゥーザフューチャーなんだよ。85年なの。やばいやばい。

そういえば今日、バイト先の私の好きな先輩も85年生まれってことがわかって、もう、ある意味呪われてるなあ。

元に戻すと、伏線って、バックトゥーザフューチャーの中ではかなり重要な要素なんだけど 伏線=本筋ではないってこと。

もちろん伏線の上手、下手で、フィクションのおもしろさって決まっちゃうんだと思うんだけど、(それが浦沢直樹が駄目で、岩明均が凄い理由、ヌーヴェルヴァーグはだからこそ完全なフィクションたりえない)

本筋を語っていく上で、回り道のように、あるいはショートカットのようにしてつないでいくのが伏線、なんだけど木村友紀はそれを作品の主題ともとれるような位置で扱っている。それは青木淳が建築においてオプションにされがちな表面の問題、表層的ななにかについてずっと考えてるのともつながっていくのかもしれない。

そういう寄り道的な何かが重要な主題として扱われているのは大変に興味深いと思います。 以上、起きちゃったので朝方に考えたこと。

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