2010年8月4日水曜日

装飾と罪悪




ざっとアドルフロースを読み終わりました。

とりあえずの覚え書きを。

建築家はグラフィックに溺れてはいけないという所だけは納得できなかった。
良い建築は良い図面で表すことは決してできないとロースはいうけれど、そんなことないと思う。古代ギリシャ神殿の図面から伝わってくるものが何もないのかって、絶対ある。数的な美を表現した建築の図面はやっぱり数的な美を隠し持っている。
そんなかんじでわりとつっこめるところもあるんだけど

でも 建築と服飾をつなげてかんがえること、嘘をつかない建築をすること。

それはすごく感動した。

サイディングでおおわれたビルと建て売りの住宅、町家風居酒屋が乱立する京都ってなんて絶望的なんだろうと思わずにいられない。

いま私の部屋からも外壁のレンガ風サイディングが見えますが。 みんなはこれをみて絶望的な気分にならないんだろうか?だとしたらますます危機的な状況なんだろうと思う。

http://www.handamasanori.com/en/2010_1.html#images/2010_1_02.jpg

これは半田真規さんの作品だけど、こういう状態。

学校の先生がうちの学校は国立で予算が足りないけど、上手に設計するから全部の建物に外壁材を貼れるんだよ!って嬉しそうに言っていたけれど、 それってよけいに武田五一設計のあの建物が埋もれてしまうだけなんじゃないかってたまに思う。学校の雰囲気は好きだし、あれを否定する気もないんだけど、外壁材を張らなきゃいけない=嘘をつかなくちゃいけないってことにつながっていく気がしてたまにこわくなる。




「我々が森を歩いていて、シャベルでもって長さ六フィート、幅三フィート程の大きさのピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。我々はそれを見て襟を正す気持ちに襲われる。そしてそれは我々の心の中に語りかけてくる。『ここに誰か人が葬られている』と。これが建築なのだ。」
アドルフ・ロース 『建築について』

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