2014年5月17日土曜日

『ウィズネイルと僕』とイーニドとレベッカ

もうすぐ閉館してしまう吉祥寺バウスシアターに初めて行った。
ここでしか上映されたことのない、イギリスのカルト・ムービー『ウィズネイルと僕』を見るために。例によって、brady blogで紹介されていたからなんだけど、予告編を見てもシニカル・カントリー・アルコール・タバコと好きなものだらけだったので。


簡単にあらすじをちゃんと書いておくと、売れない役者二人がアルコールと都会のうんざりするような雰囲気に危機感を覚え、裕福な親戚の(妖しい)伯父さんの所有する湖水地方の素晴らしい田舎へ出かけていく、という感じ。
こうやって一行で済んでしまうような実にシンプルなストーリーだけど、そこに組み込まれたすべてがどうにもやるせなくて、笑った後にふっと寂しくなるような映画だった。
この映画をみて思い出したものが2つ(どっちも大好きな話だ)
ひとつめは『ボートの三人男』(ジェローム・K・ジェローム)。都会に暮らすノイローゼ気味の男が新鮮な空気とあたたかい人々を求めてテムズ川下りを計画する話。まず、旅に出るまでが長い。出てからも楽しい話なんて何もない。当然ながら、都会人の思い描く田舎なんてないから。案の定雨が降ってびちょびちょになって(『ウィズネイルと僕』でも別荘に着いたときは土砂降り)、火はうまくおこせない、テントははれない、犬は臭い…みたいな文句ばっかり書かれている。それがとてもユーモアに溢れてて見事なんだけど。
うまくいかないのを場所のせいにして、他の場所に逃げても結局同じような状況に陥る(でも非日常だから帰ってくるとよい思い出になりそう)という「ここじゃないどこかなんてない」感がとてもいい。
もうひとつは『ゴーストワールド』
またゴーストワールドの話かよ…てかんじだけど、イーニドとレベッカは高校卒業したての18歳。ウィズネイルと僕は20代後半。(ウィズネイルは30すぎと書いてあるブログもあった)。この映画に同年代の女の子は一人も出てこない、ということはやっぱりほとんどの同年代の女の子は18歳でモラトリアムを脱する、ということなのかなと思ったり。
『ゴーストワールド』はイーニドの側からみた世界だけど、『ウィズネイルと僕』は僕(この映画の最後では役が決まって家を出て行く)からみた世界だ。だからレベッカが現実を見始めて、夢見がちなイーニドとだんだんうまくいかなくなるのはなぜなのか、なんとなく補完されるような気がした。
まあとにかくいろいろと見どころの多い映画で、妖しい(というかゲイなんだけど)伯父さんが夜な夜な別荘に押しかけて、僕をヤろうとしたりするとことかは映画館で大笑いするし、むずむずするんだけど、その次の朝、僕が伯父さんが残した書き置きをみて「かわいそうに」というシーンがあるところで、一気に伯父さんのせつなさ(ゲイであることをカミングアウトできずにこれまで生きてきたこととか、その愛をあたえる相手がいないこととか、年老いていることとか)に気付かされる。


なんといっても最後、ウィズネイルが雨の中ロンドン動物園のオオカミに向かってハムレットを朗読するところが素晴らしい。そしてシェイクスピアの残した詩が69年のウィズネイルの心境をぴたっと表していて、かつ映画が撮られたのが87年で、2014年の今日本人の私が見ても心打たれるということが凄い。
一回もカラッと晴れなかった。

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