2012年12月27日木曜日

シャーリーテンプル・ジャポンPart1Part2

「おとなのけんか」と違って、こっちは 映画らしさ の追求。
映画と演劇の違いって、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」(映像のカットアップ)→ゴダール(音もカットアップ、コピーアンドペースト)というふうに変化してきていると思うし、この富永監督はきっと、その系列に属する人なんだなあと思う。
他の映画も、たとえば「乱暴と待機」は、元演劇をどう映画にするか、だし、「パンドラの箱」は、文学をどう映画にするか(音読とどう違うか)だと思う。
シャーリーテンプルは第一部は、映像が動く、カメラが動く(視点が変わる)ことをすごく意識させるし、アテレコのない第一部から、第二部では、音も、カメラの位置も豊かになる。その禁則された状態からの転換が鮮やかで、同じ話なのにアキない。
個人的には、第一部で自分が字幕を読んで感じる印象と、第二部で人物がしゃべる印象の間の違和感がとてもおもしろかった。

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