2011年5月20日金曜日

vivian girls



深く考えずにヘンリーダーガーっぽいなあと思ってたらほんとにヘンリーダーガーでした。



vivian girlsのvivian girlsのtatoo

2011年5月8日日曜日

D.I.Y.とremix

今repで行われている「space ourselves」展のギャラリートーク、make編に行ってきた感想。

D.I.Y. にしろ、remixにしろ、周辺から生まれてきた文化であることに違いはないし、享受するのをやめて『自分たちで』なにかするという行動も同じなのだけど、そのスタンスには明確な違いがある。
D.I.Y.が、ほんとに一から作る!って思ってる理由はそれがないから、もしくは買うお金がないから。今あるものは信頼できないし、自分たちで一から作ったほうがぜったいいという信念で成り立ってる。
remixは元ネタに対する尊敬とかある種の思うところがあってそれを再発見、再構築する。
どちらもカウンターカルチャーだけどD.I.Y.の方がより反抗的な気がする。もっと反抗的になるとすべてをぶっ壊すっていうパンクになるんだけど

だけどなぁー、だとするとこれは厳密にはD.I.Y.じゃないんだろうなって思いながら今回のギャラリートークを聞いていた。
『私たちの』ものにするために、自らが参加して物事を作り上げてみる、っていうのはすごく共感する。より身近になるし、愛着もわくから。でもそれを信頼できるのか、っていう課題が残る。
米沢さんや、元木さんのおっしゃっていた『お祭り/広場』という公共空間についてだけど、今回の展示は、ソフト的な面が強くて、『お祭り』の提案が多かったようにも思う。公共建築って言われるとどうしても『広場』を考えてたことを思うと変な感じがした。お祭りの強度ってなにかなあと考えてみると
キーワードとしては
一過性であること
それと伝統がある

あんまり伝統とか、過去についての話はなかったんだけど祇園祭を毎年体験しているせいかわからないけれど、伝統抜きのお祭りはやっぱりお祭りとは違うもの。
だとすると新しいものを提案するのにお祭りとか、歴史のあるものを持ってくるのはD.I.Y.としてやるには大変に難しいんだろうなあと思ってしまった。
 伝統抜きでお祭りの一過性だけを取り込もうとすると、屋台になるんだろうけど、それが一過性のままいずれなくなるべきなのか、今出川のふたばの前のたこ焼き屋さんみたいに反恒久的なものになるのかは明確にしとかないとダメな気がする。うちの大学でも、プレハブ校舎で授業があって、あれは3年もあるので一時的なものではないんだろうけど他の校舎に比べてのちゃっちさとか、愛着のなさとか、適当感とか。そういうことになったら残念だなあ。。。一過性のものはずっとあったらだめだ。そういうことを思った。

2011年5月6日金曜日

FANTASTIC MR. FOX



FANTASTIC MR. FOX

というわけでやっと『Fantastic Mr. Fox』観てきました。


おもしろかった。

つまりね、『ダージリン急行』でルイ・ヴィトンとコラボっちゃうようなウェス・アンダーソンでも








 でも でもやっぱり好き!!


みたいな感じです。

ノア・バームバックが再び参加してるので、なんかあの哀愁みたいなやるせない感じが増えてて好かった。もし将来自分に子供がいたら見せたい。これ見せて育てたい。



相変わらずどこまで作り込むんだか…。よくこれはどうも自己満足的で好くないねえ なんて言ったりするけど、映画に関してはそれは当てはまらないなあ。。 動物たちの腕時計がうつされるとこなんて、どれぐらいの大きさで作ったのかしらないけど、ロレックス風からcasioのデジタルウォッチ風まで、、、 作るのたのしかったんだろうなあ。。。




こんなかんじフロムアメリカンアパレル


そして半分ぐらいこのために観に行ったんですがジャーヴィスコッカーよかったです。




てっきりジャーヴィス役ででてるのかと思いきやちゃんと(人間だけど)ピーティっていう名前までもらっててけっこう出番ありました。


…頬こけすぎ。

あと息子が、うちの犬に似てたのもよかった。あの動き方が近い感じだった。

2011年5月3日火曜日

finesse

finesse/elevate

Finesse - Elevate from Experimental 1/2 Hour on Vimeo.



miracles club/church song

MIRACLES CLUB - "CHURCH SONG" from Mexican Summer on Vimeo.

2011年4月18日月曜日

女が階段を上るとき

おんなじ成瀬監督の『浮雲』もちらっとみたことあるけど、あっちはもう 切っても切れない てかんじだったけど、こっちは割とすっぱり切れてしまう。こっちの方が好き。




めまぐるしいよるを ひとり たえて …

どこの町にも小さな銀座があるもんですが、東京の銀座には自販機がないのです。(夏にオーストリア人が言ってた)それぐらい徹底してるのです。


トリュフォーの『死刑台のエレベーター』が才能あるフランス人の壮大な大人ごっこだったとすれば、 こっちは堂々たる昭和の大人の社会。



まあこんな大人には一生ならないけど。


見に行ったシネヌーヴォはキャバレーみたいな華麗な内装。(維新派の建築した映画館だそうです)
雰囲気ぴったし。まわりはご年配の方だらけでそれもまた好し。

2011年4月8日金曜日

空虚な

住宅特集に、鈴木了二さんの、DUB論の続きが載っていたのですが、というか物質試行の新作が載っていたわけですが、

ダブについて理解してるとは全然思ってないですが、鈴木さんのいう建築においてダブがきく、きいていない、というのはまさしく空間の問題である。

建築がゆがめば空間が歪む。 音楽も歪めば、空間が歪む。

たとえば前にdommuneで菊地成孔と大谷能生がジャズをスロー再生するといいといってたけどあれは空間が歪むからだろう。

たとえばヴィムヴェンダースの『ベルリン天使の歌』 吹き抜けのあるベルリンの図書館で、見えない天使たちがいろんなところにたたずんでいる映像がある。その空間は聞こえない天使たちのささやきで満たされている。あれも一種の歪んだ状態なんだろーな。

ないものについて考える上でダブの考え方はいろいろ考えられるんじゃないかな。



ぜんぜんまとまんない。。。